とりま深呼吸

育児ログと雑記です

アルシンドと僕

お題「#応援しているチーム

 

アルシンドになっちゃうよ!」

 

当時、ぼくはサッカー少年だった。

中学校の机には、彫刻刀で

アントラーズのロゴを彫った。

 

後ろの席で同じくサッカー部の

アキオくんのマネをしているのだが、

一発で、キレイに仕上がらなくて、

机を無駄に掘ってしまった。。。

数箇所の陥没ロゴ地帯ができている。

小テストとかでちょうどこの上で、

紙に鉛筆を走らせると、事故が起こる。

中1にして彫り物の怖さを知った。

数年後、他のクラスのワタナベくんは、

背中に立派な観音さまを彫っていた。

彫ることの覚悟を、ハタチで感じた。

 

ぼくらはアントラーズファンだった。

当時、人気絶頂期のセリエAでは

ACミランのサポーターはミラニスタとか

ファンにかっこいい愛称がついていた。

球団のマスコットから、

ぼくらは、鹿雄(しかお)の愛称で、

まわりから呼ばれていたかは知らない

 

ぼくは、広いおでこをネタにされ、

デコッパチとかアルシンドとかイジられた。

思春期にハゲキャラはちょっち悲しいが、

それはそれでおいしいポジションだった。

「額が広いくせに、ヘディング下手だな」と

言われたことには、内心とても傷ついた。

 

ちょうど中1のとき、Jリーグが開幕した。

キラ星のようなスター選手がたくさんいて、

放課後の部活動では、よく真似をしたものだ。

とにかく切り返し鋭さを日々磨いたものだ。

 

・・・

 

 

大学時代、リーガエスパニョーラばかり

見ていて、Jリーグには全く興味なかった。

 

バルサルイス・フィーゴが好きだった。

オーフェルマルスの切り返しに惚れた。

バスク純血主義を貫くアスレチックビルバオ

ビシャ、アイマール、メンディエータを

擁しバルサ・レアル2強に楔を打ち込んだ

バレンシアは、魅力的なチームだった。

天才バレロン、リーガ得点王をとった

ディエゴ・トリスタンのいる

デポルティーボラコルーニャ

日韓W杯で活躍したホアキン

ブラジル代表デニウソンと破壊力ある

両翼を持つベティス

同じくサイドを主戦場とする僕は

特にベティスに熱を上げた…

 

パススピード速く、1対1の勝負を

仕掛けるリーガは、スペクタクルだった。

 

 

 

・・・

 

 

ブラジルW杯でアルジェリアを率い、

世界に衝撃を与えたハリルホジッチ

日本代表の監督になった。

 

イビチャ・オシムが就任した時にも

感じた代表への期待感がまた高まった。

 

 

戦術でチームを勝利に導く名監督の

深い洞察・思考にハマっていき、

いつしか僕はプレイヤー視点から

監督視点になってきていた。

 

 

グアルディオラモウリーニョ

ビエルサ、クロップ、サッリ、、、

次々と新しい戦術が生まれている

フットボールがまた楽しくなってきた。

 

 

さまざまあって、ハリルは日本を去った。

とても残念だった。

 

だが「砕かれたハリルホジッチプラン」を

読み、こういうことたったのかと、

驚嘆し、改めて悲しくなってしまったが、

そこに書かれた戦術は僕を熱くさせた。

 

 

 

・・・

 

 

いまJリーグに、あのイニエスタがいる。

遠藤もまだまだガンバってるし、

日本代表も狙っている、、、

 

とても、気になっているけど

実は実際に、試合を観ていない。

 

 

でも、試合を観てみたいと、

ブログを書きながら思いが強まった。

子どもがいるとか、言い訳せず、

一緒にみてもいいし、観れば多分

僕も元気がもらえそうな気がしてきた。

早速、日程を確認しなきゃですね。

 

皆さんと同じく僕も、TVかスマホの前で

観戦します。よろしくお願いしますね。

ぜひスタジアムにも足を運びたいです。

まず、DAZNに課金するしかないですね。

 

 

 

 

 

 

 

サッカーの神様ジーコの、

ほのぼのレイクで、ひとりででき太。

まさおが、ラモスになるJリーグカレー。

ぼくらのいい思い出ですね。

友達なら当たり前ー♪